身近な愉しみ 浮世絵

そもそも浮世絵とは?江戸時代の人々は、どのように愉しんでいたのでしょう?学芸員の後藤さんにお伺いしました。「浮世絵のモチーフは、実に多種多様です。歌舞伎役者やお茶屋のマドンナを描いた役者絵や美人画は、今で言うなら『会いに行けるアイドル』のブロマイド。歌舞伎の演目を描いた絵も人気で、風景画は旅のみやげとして喜ばれました。当時の相場で浮世絵1枚が蕎麦1杯ほどの値段でしたから、身近な娯楽として親しまれていたようです。」
後藤さんがその例を、「東海道名所風景」からご紹介くださいました。きっとこの「島原」や「有松之景」の絵のように、将軍様ご上洛は街道沿いで注目のビッグニュースだったのでしょう。そして、浮世絵は巷の話題を題材にしたメディアとして、アートとして、庶民の愉しみであったことがうかがえます。

天下泰平 願う人々の想い

「東海道名所風景」が発刊されたのは幕末期、将軍様ご上洛は開国と攘夷(外国人を追放する運動)の狭間で朝廷と幕府の関係強化を図ったものでしたが、その実情は諸藩の思惑が複雑に入り乱れていました。そんな時勢の折、22日間のご上洛の旅は、第3代・家光以来229年ぶりの一大イベントで、浮世絵が創作されました。このシリーズは、幕末から明治にかけて活躍した16人の絵師と25軒の版元が携わったビッグプロジェクトです。
「この時ならではの世相が、三代・歌川豊国(国貞)『上加茂』の絵に表れています。」と後藤さん。孝明天皇が攘夷を祈願するため、家茂と後の15代将軍となる一橋慶喜を伴い、京都・賀茂社を参拝された場面です。「モチーフの時事性もさることながら、メリハリが効いて見せどころを押さえた筆致は、さすが三代豊国です。」

ご上洛を祝う能鑑賞の儀式を描いた「御能拝見朝番」は、二代歌川広重・河鍋暁斎(かわなべきょうさい)・歌川芳虎という、人気絵師のコラボレーションです。「浮世絵では大変珍しい3人の共作がなされており、風景を二代広重、歌い踊る人々を暁斎、見物台のまわりを芳虎が描いたと思われます。政情不安な時勢だったからこそ、天下泰平を願った人々の想いが伝わってくるようです。」

徳川将軍家の三つ葵紋はどこにある?

「将軍様がどこにいるか分かりますか?」と後藤さん。「これは江戸時代ならではの面白い表現で、当時は将軍様を直接描くことがタブーでした。幕府による出版統制が厳しかったからなのですが、そこで武家政権を初めて確立した源頼朝にかこつけて、源氏の長者でもある将軍様を表現しているわけです。」絵師によって描き方は様々ですが、徳川家の三つ葵紋ではなく源氏の笹竜胆紋(ささりんどうもん)や、烏帽子をかぶった頼朝で、将軍様を表現しました。

また、今では見られない当時の風習や価値観が映された浮世絵があるのも、興味深い点の一つでしょう。歌川芳虎「阿べ川」には、当時橋が架けられていなかった静岡市の安倍川を人の力を借りて渡る「徒歩(かち)渡し」の様子が描かれています。両脇の裸の男たちは川の流れをせきとめる役とのことで、川越えがいかに大変であったかが伝わってきます。

モチーフ上手は江戸の粋!

シリーズの中で、後藤さんオススメの一枚はこちら。江戸時代の人々が大好きだった歌舞伎演目をモチーフにした「沼津」は、役者絵を得意とした三代豊国らしい一枚です。「日本三大仇討ちを描いた『伊賀越道中双六』の登場人物たちが、沼津で繰り広げるシーンを描いています。歌舞伎ファンなら、必ずピンとくるはずです。」多くの人の心をつかむため、絵師たちが創意工夫を重ねていたことがわかります。

技ありモダン!絵師の遊びこころと心意気

ひときわ自由、豊かな想像力が、あふれんばかり!「愉しい絵といえば、天才画家と誉れ高い河鍋暁斎の出番です!」と後藤さん。暁斎の2作品では、将軍様が見てもいない場所・場面が、モチーフとして選ばれています。「『秋葉山』は東海道から外れた静岡県浜松市にあり、火伏の神様や天狗伝説で知られています。絵は、酒盛りや飯炊きをしながら将軍様の行列を見物する天狗たちが主役になっています。ダイナミックな猪狩りを描いた『箱根山中猪狩』にしても、将軍様がそんな悠長なことをしていたわけではなく、完全に架空のできごとを、戯画的な表現を加えて描くところに暁斎の魅力を感じます。」

異才の浮世絵師として名を馳せた月岡芳年による「石部」も、創造性が感じられる一枚です。「夜を迎えた滋賀県の石部宿で、行列に対して平伏する人々が描かれ、絵の中央を焚火の煙がたちのぼっています。あえて視界を邪魔する煙を描くことで、目を惹くことに成功しています。」
多彩な絵師たちが腕を競うように描き、将軍様の旅路の夢をふくらませた、浮世絵シリーズ。ビッグニュースに一喜一憂し、まだ見ぬ地や旅に憧れる人々の気持ちが、時を超えて鮮やかに伝わってくるようです。

江戸の頃、この一大ニュースを描いた浮世絵は、人々の想像をかき立て、心豊かに愉しみ、夢と憧れをもたらしたことでしょう。「日本の美術に惚れ込み、絵を、美術を好きになって欲しい。」と語る“情熱の学芸員”後藤健一郎さんのお話に、江戸時代のアートに、魅了されたひとときでした。

今回ご紹介した浮世絵コレクションは、大阪の南部、和泉市久保惣記念美術館でご覧いただけます。
「久保惣」は、明治時代より繊維の名産地である泉州で綿業を営み、大阪の産業発展に貢献した企業のひとつです。その久保惣株式会社と久保家が、蒐集品とともに久保家の本宅があった広大な敷地と美術館、音楽ホール、茶室などの建物を市に寄贈して久保惣記念美術館が開館しました。平成16年度以降、数回にかけて寄贈された約6,000点に及ぶ浮世絵版画は関西有数のコレクションとなっています。これは、5代目の代表者である久保恒彦氏が、庶民の文化でもあり、世界的な評価を受けている 浮世絵を愛し、蒐集されてきたもので保存状態も大変良いものです。
この機会に、素晴らしいアートな空間へ出かけてみませんか?

東海道名所風景 浮世絵に見る将軍様の御上洛

●6月25日(日)~8月20日(日)

今年は、徳川幕府14代将軍徳川家茂が京都に上洛して160年の節目の年です。本展覧会でご覧いただく「東海道名所風景」は、家茂の上洛を機に制作されました。名所絵という枠組みだけでなく、報道性も兼ね備えた作品です。落合芳幾や月岡芳年、河鍋暁斎など幕末から明治初めにかけて活躍した絵師の作品をご覧いただけます。

2023年4月現在の情報です。

1982年に開館した、大阪府和泉市立の美術館。日本と中国の絵画、書、工芸品など東洋古美術を中心に約12,000点をコレクション。年4回の企画展と年1回の独自企画の特別展を開催しています。お子様から大人まで、愉しんでいただけるよう、浮世絵展で展示される作品の紹介は、大人用と子供用の解説がなされるなど、より身近に愉しんでいただける工夫も魅力です。展覧会以外にも、茶会やコンサート、市民による作品展など、創作活動や発表の場を提供しています。

■和泉市久保惣記念美術館

〒594-1156 大阪府和泉市内田町3-6-12
TEL. 0725-54-0001https://www.ikm-art.jp休館日/月曜日(祝日・振替休日の場合は翌平日)、陳列替期間、年末年始