日本の食文化にふれる旅 滋賀・奥琵琶湖 マキノ
Route 風土に育まれる伝統の発酵食 鮒ずし

古くから発酵文化が息づく、春の奥琵琶湖を訪ねて。大丸京都店・食品部長の今井良祐さんと、滋賀の郷土料理「鮒ずし」を愉しみに、湖の景観を見守るようにひっそり佇む料亭・湖里庵(こりあん)へ。店主の左嵜謙祐(さざきけんすけ)さんが迎えてくださいました。

文豪も愛した風土
鮒ずしと湖里庵

「初めて訪れ、口にした時の感動は忘れられないです。」と言う今井さんに、古くより琵琶湖の湖上交通の要衝として栄えた宿場町、豊かな自然に恵まれた滋賀・マキノ町の湖畔「湖里庵」をご案内いただきました。

1784年創業の鮒ずしの老舗・魚治(うおじ)の先代の6代目が「この地で育つ湖と山の幸をゆったりと召しあがっていただきたい」と始められた料理店です。魚治の鮒ずしを愛した文豪・遠藤周作氏の「ここへ来たら食べられるもの、ここへ来なければ食べられない名物料理を考えなさい。」という言葉から「鮒寿し懐石」が誕生し、氏の雅号である「狐狸庵(こりあん)」をもじった「湖里庵」と屋号を命名されました。氏のエッセイにも描かれていることからも、この名店と文豪との心あたたまる交流がうかがえます。
今井さんとは、左嵜さんが研鑽を積まれた京都の名料亭とのご縁で知り合ったのが始まり。修行の後、実家の魚治に戻り、左嵜さんは7代目を継がれました。「うちが代々伝えてきた味を追求するのが愉しくて。文献や現地調査で鮒ずしのルーツを少しずつ学んでいます。」とお話しくださる左嵜さん。若い頃の夢は考古学者だったとか。日本の食文化を伝える活動に情熱を燃やす今井さんと、探究心の高い左嵜さんの熱いお話は続きます。

米と湖魚は、
持ちつ持たれつ!?
寿司になる

「私たちが知る寿司は、もとは酸っぱさを意味する“酸(す)し”が進化して、今のかたちになっているんですね。今日ご案内したかった鮒ずしは、琵琶湖で獲れるニゴロブナを塩で漬けた後、炊いたご飯を重ねて乳酸発酵させた『なれすし』です。鮒ずしは、寿司のルーツを今に伝える貴重な伝統食のひとつなのです。」と今井さん。

「鮒ずしは、稲作文化のたまもの」と、左嵜さんがお話を継がれます。「稲作と同じ頃に伝わったとされています。というのも、温かく、エサが豊富な水田は、ニゴロブナにとって理想的なゆりかごのような場所。稚魚の間は稲によって外敵から身を隠され、稲刈りが済んで田から水がなくなると湖に戻ります。この地では、昔からニゴロブナは貴重なたんぱく源で、たくさん獲れたものを保存するため、田で収穫した米や若狭の塩と合わせて発酵させる鮒ずしがつくられ、今に伝わっています。」

お寿司のルーツ
「飯(いい)」

もともとは各家庭で保存食としてつくられてきた郷土料理で、神様にお供えし、お客様をもてなす“ハレ”の料理でした。「琵琶湖の恵みである魚と、米でつくった鮒ずしを、感謝と豊作の願いを込めて、神様へ献上する。昔の人々は自然とそのような気持ちになっていたのでしょうね。」と左嵜さん。
「味見してみませんか?ちょうど今日は桶を開ける日で。」と、特別に仕込みの蔵をご案内くださいました。

「酸っぱい=酸し」は、この「飯(いい)のことで、この酸味、うまみが“お寿司”の原点なんです。」と、 熟成が進んだ飯(いい)を味見させてくださいました。やわらかな酸味の中に凛としたうま味があり、フレッシュな味わい!「チーズ?のような、驚くうまみ。この美味しさの秘密は?」今井さんの問いに、左嵜さんは「“鮒ずし”は、包丁を使わず、手仕事から生まれます。毎年3~4月頃、お腹にぎっしり卵が詰まった姿の良いニゴロブナを厳選するところから始まり、鱗と内臓を除いて塩漬けに。乳酸菌が活発に働く夏の土用の頃、塩抜きしてから炊いたお米と一緒に本漬けします。一般的には、漬けた翌年のお正月が食べごろと言われますが、うちの熟成は2年。雪が降る厳寒の二冬を越して、味に深みが生まれてるのです。」

蔵とともに―
「守り(もり)」の役目

「うちでは蔵と菌を守ることを『守り(もり)』と呼び、何よりも大切にしてきました。2018年の台風で店は倒壊してしまいましたが、仕込みの蔵は何とか無事でした。奇跡的に被害を免れた木桶に、代々発酵を手伝ってくれた『蔵住みの菌』が宿っていたのです。そのお陰で、受け継がれてきた味を今も続けられています。」と、左嵜さん。
この経験で、便利な暮らしの危うさに改めて気づかれたとか。「私が跡を継ぐとき、父からもらった言葉が“歯車になれ”。私心を交えず、滋賀の食文化を未来へ正しく伝えようと、この言葉で決意しました。」さらに、木桶のお話も聞かせてくれました。「鮒ずしの文化を未来へ橋渡しするためには、資源のアップサイクル(創造的な再利用)があった昔からの製法にならうことが大切だと思っています。木桶をつくる桶屋さんが今では全国で1社だけになってしまいましたが、木桶という道具を伝えたいと考え、10年ほど前から木桶を復活させる取り組みもしています。」
創業から240年働き続けた菌を守るため、本漬けと蔵の「守り」は、今も変わらず当主1人。一子相伝で受け継がれています。

琵琶湖の恵みと繊細な
手仕事を味わう

魚治の初代は、川魚の店。魚屋の治右衛門さんが始まりです。2018年の台風で店舗が倒壊し、2021年の営業再開までの期間に、「自分たちのルーツに根差した料理を」という思いが強くなり、お座敷料理から割烹スタイルの鮒ずし、季節の湖魚、地元の野菜を使ったものに変えました。漁師や地元の方々との対話を一層大切に感じ、頻繁に港へ出かけるようになったとか。

お店に戻って、人気の味を紹介していただきました。今井さんのおすすめは、まずこちら。「鮒ずしの美味しい食べ方は、なんと言っても姿造りと日本酒がうまい!何杯でも食べられてしまう鮒ずしのお茶漬けは、芳醇な味わいが一層ひきたちますし、初心者の方にもいいかも。」左嵜さんのおすすめは、シグネチャーメニューとして有名な“鮒寿しのパスタ”です。チーズのような風味を活かし、生クリームと合わせたソースが絶品です。

ご満悦のところへ、琵琶湖で獲れる鮎の稚魚、氷魚の一品。釜揚げにした氷魚に、土佐酢とオリーブオイルをかけて、さっぱりと。鮎のかすかな苦みに春を感じます。どの品も地元の食材への愛情に溢れ、創意に満ちた美しい味です。

「脈々と積み重ねてきたことを時代にフィットさせながら続けられてきたものが、伝統食と呼ばれるのだと思います。昔と全く同じやり方を頑なに守っていただけでは、郷土料理や伝統食は形だけのものになってしまいます。基本は守りながら、暮らしのなかで愛される、時代に沿った料理をつくり続けたいです。」と左嵜さん。
今井さんも「鮒ずしがこれほど長く暮らしに根づいてきたことが、その魅力を物語っていますね。滋賀の発酵食をご自分らしく守り続ける左嵜さんのお話に、私も素晴らしい食文化を発信する一助になりたいと思いました。」
改めて日本の食の奥深さに想いをめぐらせる時間になったようです。

「湖里庵」の室内のガラスの窓からは、空と水面が溶け合うような絶景が広がり、風が湖面を通る“風の道”が見えることも。自然が描く、絵の中にいるような佇まいへ。日本の伝統と季節を感じる美しい時、美しい味をめぐる旅へ出かけてみませんか?

鮒寿し懐石(1人前) 税込16,500円 ※サービス料別
営業時間/(昼席)12:00~ (夜席)17:00~ ※お食事時間は約2時間
*1名様からお受けしています。必ずご予約のうえお越しください。ご予約は、月初の営業日より2カ月先末日まで承ります。
※1日1組(2〜6名様)のみ、2階宿泊室にての夕食・朝食付き宿泊プランもございます。詳しくは、お店のホームページをご覧ください。

2023年1月現在の情報です。

■湖里庵

滋賀県高島市マキノ町海津2307
TEL.0740-28-1010
電話受付/9:00~20:00 ※定休日を除く
定休日/火曜日、第1・第3水曜日https://korian.jp/

「湖里庵」前に、鮒寿しや佃煮の販売店「魚治本店」がございます。ぜひお立ち寄りください。

■魚治 本店

滋賀県高島市マキノ町海津2304
TEL.0740-28-1011 営業時間/9:00~18:00
定休日/火曜日、第1・第3水曜日https://shop.uoji.co.jp/