江戸時代から続く、杉本家の梅干し漬け。
梅と塩を交互に重ねて下漬けを。
美しい赤紫色に染まった梅干し。

「手ごさえ」という言葉には、料理を自らせっせと「こしらえる」ことへの特別な想いが感じられます。「ふだん口にするもんは、手ごさえが基本です。季節の食材は年に一度きりの出会いですから、その年の育ち具合に合わせて、下処理や調味料の塩梅を工夫し、自分の味をつくりあげるのが愉しくて。」と節子さんは微笑みます。
初夏なら、梅仕事がお決まりです。江戸時代から杉本家に伝わる暮らしの覚え書き「歳中覚(さいちゅうおぼえ)」の6月の頁には、「梅干しを漬けること」と記されています。おばあ様のレシピにならい、追熟、あく抜き、下漬けと本漬け、2カ月ほど置いたら土用干し。「しっかりと塩をきかせるのが祖母の味。私は減塩で現代風にアレンジしています。」お母様がつくってくれたお弁当やおにぎりにも、必ず梅干しが入っていたそうです。「梅干しは想い出の味であり、暮らしのお守りのようなもん。身体の調子がようない時は、熱々のほうじ茶に梅干しを入れたのを薬湯がわりにしています。」

夏らしい爽やかな風味と辛みの、ちりめん山椒。
だしをとった昆布もおいしく使い切る、だしがら昆布煮。

「手ごさえは『やらなあかん』というよりは、梅が出始めたらおのずと『こさえましょか』となります。」と節子さん。梅干しの前に行う実山椒の下処理も、毎年のお愉しみです。実山椒を塩ゆでにしたり、お醤油で炊いたり、だしをとった後のだしがら昆布と一緒に炊いたり。「実山椒の塩漬けや醤油煮は、冷凍保存しておくと、料理に奥行きを加える香辛料として年中活躍してくれます。塩漬けは、こさえるついでにちりめんじゃことさっと炊きあげて、ちりめん山椒にします。だしがら昆布は、細かく刻んで甘辛く煮ると、ごはんと合う一品に。」ひと手間かけた常備菜が、杉本家の食卓を豊かに彩ります。
夏を迎えると、きゅうりとなすのどぼ漬けの出番です。「ぬか漬けを、京都では『どぼ漬け』と呼びます。きゅうりは切り口が八坂神社のご神紋と似ているから『恐れ多い』と、祇園祭の期間はきゅうりを食べないおうちもあるようですが、うちとこの習わしにはなかったんで、知った時は『へえ』と驚いて。まあ、そういうエピソードがあるとして、私はおいしゅういただいています。」茶目っ気たっぷりに、きゅうりにまつわるエピソードを話してくださいました。

祇園祭で授けられる厄除けのちまき。
杉本家に例年届けられる、ちまきの束。 ※コロナ禍前の様子です
よもやま話に花を咲かせて、ちまきの飾りつけ。 ※コロナ禍前の様子です

祇園祭は、節子さんが格別な想いを持つハレの行事です。杉本家は250年以上も、「伯牙山(はくがやま)」を守る町衆として、祇園祭と深く関わってきました。杉本家は伯牙山のご神体を一時期土蔵でお預かりし、町内の祭りの準備のための場所を提供していたご縁から、今も「伯牙山」のお飾り場となっています。「そやから、子どもの頃から祇園祭と、うちの行事が一緒くたの感覚で。『そろそろ祇園祭りの時期やな』というのを五感で感じてワクワクしていたものです。山鉾をしまう蔵の樟脳の香り、ちまきの飾りつけに使う熊笹の青く乾いた香り。祇園囃子の練習の音が聞こえだすと、じっとなんかしてられません。」
祇園祭の名物として有名なちまきは、食べ物ではなく厄病や災難よけのお守りで、祇園祭の時だけ八坂神社や各山鉾保存会で授けられます。お祭りの前には、杉本家に町内の女性が集まって、約1,000本のちまきに飾りつけを施します。「小さい頃は、ゆかたを着てちまき売りのお当番をするのがうれしくて。お祭りがずっと続いたらええのに、と何べん思うたことか。」

表玄関で、お祭りとお客様をお迎えする準備を整えて。
杉本家では、例年7月14日から3日間、屏風飾りを開催。
※本年、令和4年は改修工事のため開催はございません
おばあ様、お母様のレシピでこさえた鯖寿司。

山鉾町の旧家では、山鉾巡行の前夜祭である宵山に、秘蔵の美術・工芸品や調度品を公開する「屏風祭」が行われます。節子さんにとっても、飾る屏風をしつらえて、お母様が樽酒を用意してお客様をお迎えしていたのは、おなじみの光景でした。「父の仕事仲間が次々と訪れて、それは賑やかでした。父の好みに合わせて、お祭りのごっつぉ(ごちそう)は、ローストビーフやラタテュユ、鶏レバーのパテなどをこさえてました。」
祇園祭は別名“鱧祭り”と言われますが、杉本家のお祭りのごっつぉは若狭のひとしおものの塩鯖。「歳中覚」には、神事祝いの品として塩鯖を親類縁者に贈る習わしが記されています。「江戸時代、うちとこではおかずに魚がつくのは月にたったの3度。そやからお祭りの鯖寿司というたら、ものすごいごっつぉやったと思います。」
めったに口にしない贅沢な鯖寿司からローストビーフへ。時が移り、メニューが変わっても、ごっつぉを囲んでお祭りと交流を喜ぶ気持ちはきっと同じです。ふだんの食卓も、ごっつぉも、愛おしくておいしくて。今年も、ただ一度きりの夏がやってきます。

profile

杉本家10代目当主・料理研究家
杉本 節子さん

京都市生まれ。公益財団法人奈良屋記念杉本家保存会常務理事 兼 事務局長、料理研究家、エッセイスト。生家は重要文化財「杉本家住宅」・名勝「杉本氏庭園」。京町家・杉本家と京都の年中行事、歳時記に関する歴史・食文化と伝統食を継承。食育活動からメニュー開発まで幅広い分野で活躍中。主な著書に『京町家のしきたり』光文社知恵の森文庫、『京町家・杉本家の献立帖』小学館など。

2022年4月現在の情報です。

■重要文化財 杉本家住宅

〒600-8442
京都市下京区綾小路通新町西入ル矢田町116
TEL 075-344-5724https://www.sugimotoke.or.jp/※2023年10月末まで修復工事のため、特別公開および解説見学は未定です。状況をみながら公開を検討します。詳しくはホームページをご確認ください。