四条烏丸のほど近くにたたずむ、趣き豊かな杉本家住宅。
京町家の庭として、初めて国指定名勝となった座敷庭。
内玄関の横には、呉服商の屋号「奈良屋」の看板が。

杉本家は、寛保3年(1743年)に呉服商として創業された京都の旧家。明治3年に建てられた風情豊かな京町家「杉本家住宅」は、国の重要文化財に指定されています。そこでの暮らしは、さぞかし華やかで、雅やかなのでは?
「京都のイメージはよく『はんなり』と表現されますが、そればかりやありません。ふだんはむしろ『こうと』な暮らしでね。」と節子さん。「こうと」とは、地味、質素という意味の古い京ことば。漢字で「公道」と書き、公の道にそって華美を慎み、質素倹約を心がける美徳を表します。「そやけど、大切なハレの行事は『はんなり』と。それも日頃の『こうと』があってこそ。」ハレとケのメリハリを大切にする京町家の心豊かな暮らしについて、もっと知りたくなりました。

歳中覚は、目に見えない習わしを後世に伝える貴重な史料。
春のページ。三月には上巳の節句について記されています。
お店の決まりごとや、働くうえでの心得などを書いた古文書ものこされています。

こうとな暮らしの原典として杉本家に伝わるのが、歳中覚(さいちゅうおぼえ)です。「江戸時代にご先祖さんが書きとめた、暮らしの覚え書きです。一年を通してふだんの習わしと節々の行事のしきたりが記され、祖母や父が何かと手にとる姿を見て育ちました。」
丁寧な毛筆の筆跡に、「ご先祖さんのお人柄や子孫への想いを感じ、感謝の気持ちがわきおこります。」と節子さん。歳中覚は家風を伝え、豊かな伝統文化や自然との橋渡しをしてくれる、杉本家の大事な宝物。時代ごとに追加修正も加えられ、こうとな精神を守りつつも、暮らしを柔軟に進化させながら、伝統を受け継ぐ暮らしを繋いできたことがうかがえます。

京都の朝ごはん、お茶漬け。
朝夕茶漬 香物…の文字が丁寧に記されています。
火を炊くのは、1日に1回、昼だけ。
寒い季節の朝は、あったかい茶がゆを。

歳中覚には、日常の食事についても記されています。3月3日から9月9日の節句までは、「朝夕茶漬 香物 昼一汁一菜」。ただし、それ以外の寒い時期は「朝茶がゆ」。意外にも、簡素なお献立です。電気やガスのない時代、炊飯は日に一度だけでした。江戸後期の風俗を記録した書、「守貞謾稿(もりさだまんこう)」によると、江戸では朝に飯を炊き、京都・大阪では昼に炊く習慣がありました。「昼炊きですと、夕飯と翌朝は冷や飯になりますから、忙しい商家の朝、冷や飯を茶でほぐすだけの茶漬けは、手っ取り早い時短食やったんでしょう。」
ところで、京都で「ぶぶ漬け(お茶漬け)でも」とすすめられたら「そろそろお引きとりを」の合図というのは、本当にあるお話でしょうか?「うちとこのまわりでは聞いたことがないですね。」と節子さんはにっこり。「お茶漬けは朝のトーストのようなもので、ひと様にお出しするもんではありません。そやから、食事の時間が近いことをそれとなく知らせる方便の一つやないかと。」しかも、ちまたで言われるように、京都人の「いけず(意地悪)」からの言葉ではありません。「もしこのように言うとしても、相手の気を悪くさせない心遣い」と節子さん。また、京都には「人づきあいの境界線がはっきりしていて、共同体のルールを重んじる気風があります。」とも。こうとな暮らしの心得の1つを知る事ができました。

鮮やかな錦糸卵をベースに、彩りよく春らしく。
ハレの日の汁物は、すまし仕立てがお決まり。
お公家さんの装束をまとった有職雛。

ふだんはこうとでも、四季の移り変わりを教えてくれるハレの行事を、とりわけ尊重してきた杉本家。旧暦にならい、4月に上巳の節句をお祝いします。前日に蔵を開けて雛人形を出してくると、家の空気が一気に春めきます。
「私は3人姉妹で育ちましたから、雛祭りいうたらそれは愉しみでした。大事な道具をしまう蔵に子どもは出入りできませんが、お雛さんの時だけは例外。箱を何個も運び出すお手伝いがうれしくて。ひんやりと薄暗い蔵の香りに非日常を感じて、ときめいたものです。」
座敷に飾ったお雛さんには、節句のごっつぉをお供えします。絵のように美しいばら寿司に、うっとりと見惚れてしまいます。「生魚ではなく、かんぴょうや高野豆腐などの乾物で仕上げるのが、うちとこ流。」ふくよかなだしの旨みが、口のなかで広がります。澄んだだしがきれいな、ハマグリのおすましも欠かせません。心豊かに暮らす美しい杉本家の春の情景です。
知るほどに、新しい発見がある―そこが京都の魅力なのでしょうか。「京都独特の風習は、よその方からすると分かりにくい。簡単には全貌を見せない奥深さに人は惹かれるのと違うやろか。」節子さんとご一緒に、今後も季節ごとの京暮らしの情景をご紹介してまいります。

profile

杉本家10代目当主・料理研究家
杉本 節子さん

京都市生まれ。公益財団法人奈良屋記念杉本家保存会常務理事 兼 事務局長、料理研究家、エッセイスト。生家は重要文化財「杉本家住宅」・名勝「杉本氏庭園」。京町家・杉本家と京都の年中行事、歳時記に関する歴史・食文化と伝統食を継承。食育活動からメニュー開発まで幅広い分野で活躍中。主な著書に『京町家のしきたり』光文社知恵の森文庫、『京町家・杉本家の献立帖』小学館など。

2022年1月現在の情報です。

■重要文化財 杉本家住宅

〒600-8442
京都市下京区綾小路通新町西入ル矢田町116
TEL 075-344-5724https://www.sugimotoke.or.jp/※2023年10月末まで修復工事のため、特別公開および解説見学は未定です。状況をみながら公開を検討します。詳しくはホームページをご確認ください。