お殿様も町衆も、浮世絵に夢中!?

260年以上も平和が続いた江戸時代に、町の人々が気軽に親しめる娯楽として広まった浮世絵。現代にも通じる遊び心たっぷりの浮世絵について、学芸部の吉川美穂さんにお話を伺いました。
「アートは、かつては大名や貴族といった限られた人のものでした。江戸時代に浮世絵が生まれて、アートの担い手は大衆へと移り、より自由度や創造性を高めていきました。13代慶臧(よしつぐ)や14代慶勝(よしかつ)といった尾張徳川家のお殿様も、浮世絵を愉しまれたことがわかっています。」

絵と文字は、昔から仲良し

今回は、多くの浮世絵・歌川派のコレクションから、絵と文字が結びついたユニークなアートをご紹介しましょう。
浮世絵が流行するずっと前から絵と文字は近い関係にあったそうですね。
「そうなんです。分かりやすい例で、たとえば『山』の字は、漢字自体が「山」の絵から生まれていますよね。動物や草花の姿をした文字も元々は象形文字、絵文字から始まり、古くは、文字は神聖なものと考えられていたのです。昔は主な筆記用具が筆だったので、絵と文字の境目があいまいになるのも自然なことだったのでしょう。」
江戸時代になると、発想力豊かな「文字絵」と「絵文字」が数多く登場します。「文字や和歌の一部を絵のなかに描いたのが『文字絵』。絵で事象を表すのが『絵文字』で、ユニークな例では、ご紹介する「判じ絵」などは、今でいうSNSのスタンプやアイコンに似た感覚で楽しんでいたイメージです。

幸福モチーフがてんこもり!「有卦絵(うけえ)」

江戸時代の人々に、縁起ものとして愛されたのが有卦絵(うけえ)です。「陰陽道では、幸運が続く年まわりを『有卦』と呼び、有卦の7年と不運が続く無卦の5年が、交互に訪れるとされました。江戸時代は、有卦の期間に入る人へ、福に通じる『ふ』のつくもの7つを描いた有卦絵を贈るならわしがありました。」
見るからにおめでたい福女の有卦絵(①)は、尾張徳川家に伝えられたものです。額は富士山、目は筆、耳は房、と顔のパーツはすべて「ふ」がつくもの!絵のなかで詠まれた歌「日々笛る福女が不二の蒔絵筆 文箱の房のながき寿袋」が、7つの「ふ」を読み解くヒントとなっています。さらに、絵の上部にも、船や風鈴、夫婦など「ふ」がつく26点の絵がひしめき、まさにおめでたづくし。他にもないかと、つい見入ってしまいます。
吉川さんが次に紹介してくださったのは、福助と福女を乗せた宝船の有卦絵(②)です。「よ~くご覧になっていただくと、船が袋でできています。帆柱は筆、福女が手にしているのは文ですね。」なるほど。船の出航を見守る鶴や亀も、お祝いムードを高めているのが分かります。

ダジャレがとまらない!「判じ絵」

和歌の内容を絵であらわした「歌絵」も、衣服や調度品の題材として昔から愛されました。その発展形ともいえるのが、江戸時代の判じ絵。絵や文字に隠された意味をあてる、なぞときの浮世絵です。
「音の通じる別の絵の組み合わせでことばを当てる、絵でとく“なぞなぞ”です。幕末期には、地名や動植物、ものの名前など同じジャンルを一枚に描いた「ものづくしはんじ物」が多く登場しました。」
ではさっそく、コレクションを見てみましょう!台所道具を描いた、判じ絵(①)です。さるに濁点「゛」を描いて「ざる」、田に鷲で「たわし」、桜の花の中央が消えているのは「皿」。では、絵の真ん中でおならをする人はいったい…?「菜の屁、ということで鍋です!」
虫をテーマにした判じ絵(②)も、ダジャレパワーが全開です!釜を切って「カマキリ」、矢の子守は「ヤモリ」。屁と火に濁点の「ヘビ」で、昔は虫に分類されていたことが分かります。「判じ絵は娯楽で愉しむというだけでなく、知的好奇心を刺激し、遊び心から知識を育むことにもつながっていきました。」と吉川さん。
幸福を呼び、愉しみをもたらした、絵ことば遊び。知るほどに、江戸の暮らしがより身近に感じられるようです。また次回、アートを通じた江戸時代へのタイムトリップを、ご一緒しましょう!

2022年1月現在の情報です。

御三家筆頭の尾張徳川家に受け継がれた大名文化を後世に伝えるため、19代義親により1935年に設立された美術館。「源氏物語絵巻」をはじめとする国宝9件、重要文化財59件など1万件あまりの美術品や歴史資料を収蔵。大名家伝来家宝のコレクションとして日本最大規模を誇ります。

■徳川美術館

〒461-0023 名古屋市東区徳川町1017 TEL.052-935-6262https://www.tokugawa-art-museum.jp休館日/月曜日(祝日・振替休日の場合は直後の平日)

徳川美術館の関連記事を読む ▶︎