豊かな食文化が息づく地を訪ねます。第1回は、京都・宇治へ。お茶のメッカで普茶(ふちゃ)料理とお茶の魅力にふれる旅は、茶師を目指す宇治・堀井七茗園の堀井成里乃さんと大丸京都店・食品部長の今井良祐さんにご案内いただきました。

明の最新文化を
日本に伝えた
インフルエンサー

普茶料理を、ご存知でしょうか?江戸初期に中国から日本に伝わった精進料理。まず堀井さんと今井さんのお二人が案内してくれた黄檗宗・萬福寺は、お寺の中へ進むと中国の明朝様式を取り入れた建物が配され、異国情緒溢れた境内はまるで別世界のよう。萬福寺 執事長の荒木将旭さんが、私たちをにこやかに迎えてくださいました。
「萬福寺は、中国・明(みん)から来られた高僧・隠元禅師が360年前に開かれた黄檗宗(おうばくしゅう)の大本山です。隠元禅師は徳川将軍家からも敬われ、明の最新カルチャーを日本にもたらしました。」みなさまにもお馴染みの食材、その名を冠したインゲン豆をはじめ、スイカ、なす、蓮根、タケノコ、もやしなどは、隠元禅師が日本に伝えたもの。「テーブルと椅子、明朝体文字、そして煎茶もそうなんですよ。」荒木さんのお話に、今の私たちの暮らしの中に、当たり前にあるものが、ここから伝えられたことを知りました。

大丸業祖
正啓も熱心に参禅

建築土木、文学、音楽、医学など、萬福寺から広まった先進文化は「黄檗文化」と呼ばれ、日本に大きな影響を与えました。様々な才能や最新の知識が集うお寺は、さぞや多才な人々を惹きつけたのでは?「絵師の伊藤若冲とのつながりでも知られますが、実は大丸さんとも深いご縁があるのですよ。」と荒木さん。黄檗山萬福寺第13代の竺庵(じくあん)禅師に大丸の業祖・下村彦右衛門正啓が参禅して修養につとめ、その言動に多大な影響を受けたと、今も社史に伝えられています。創始者とのご縁のお話は、今井さんも感慨深げです。

「皆さんで、
どうぞお茶を」

さて、今回いただく普茶料理とは、どのようなものでしょう?「『普(あまね)く茶を供する』、すなわち『皆さんでお茶をどうぞ』というお料理です。禅宗寺院では、法要の最初と最後に茶礼という儀式が行われます。最後の茶礼の時に、お茶だけでは物足りないと、お供え物をひいてこしらえた料理でもてなしたのが始まりです。
お供え物を活用したのは、食材を無駄にしない心のあらわれでした。「今でいうリサイクルやSDGsの精神。昔から、当たり前に実践されてきたことに、改めて気づかされます。」と今井さん。「とはいえ、おもてなし料理ですから見た目は華やかで、手が込んでいるんですよ。」と荒木さんのお話は続きます。「立場や性別、年齢の区別なく和気あいあいと食卓を囲むのが普茶料理の作法です。食材や命、食卓をともにする相手に感謝して、大皿に盛られた料理を残さずいただきます。」そのスタイルはやがて広く普及し、ちゃぶ台を中心とした家族団らんの風景となり、暮らしに浸透し、今の「茶の間」というひとつの文化になっていきました。

話題が弾む
しかけがお料理に?

では、皆さんお揃いで食卓を囲みましょう。植物油を使う料理が多く、味付けもしっかりと。食べ応え充分で、精進料理のイメージがいい意味で裏切られます。「梅干しの天ぷら!ほのかに甘く、おいしいです!」と堀井さんの箸もすすみます。「『食の前では皆が平等』と様々な立場の人が同席することとなりますと、話題がままならないことも(笑)。そこで、話のネタになる『もどき料理』が生まれました。」(荒木さん)鰻のかば焼きやかまぼこのもどき料理は、山芋や豆腐を使って。雲片(うんぺん)は、野菜のヘタや端を炒めて葛をからめたもので、余すところなく食材を生かす普茶料理を象徴する一品です。今井さんも「油が食材の旨みを引き出していますね。」と、その滋味深い味わいに舌鼓。
「江戸時代に平和が保たれたのは、幕府が和を大切にする明文化を重んじたからではないかと私は思うのです。」と荒木さん。確かに、明文化には感謝や和をベースにした価値観があったからこそ、時を超えて私たちの暮らしにも浸透しているのかもしれません。おなかも心も満たされたところへ、堀井さんが「せっかくなのでうちの茶園を見られませんか。」と誘ってくださった茶園は、室町・足利3代将軍義満が開いた宇治七名園の内、唯一現存する奥ノ山茶園。宇治の旅は、続きます。

2022年1月現在の情報です。

■黄檗山 萬福寺

〒611-0011 京都府宇治市五ケ庄三番割34
TEL 0774-32-3900
(普茶料理の予約受付時間:9:00~16:30)
拝観時間/9:00~17:00(受付は16:30まで)※朱印所・売店は16:30まで拝観料/大人・大学生・高校生500円、中学生・小学生300円https://www.obakusan.or.jp/